関西建築は何故こんなに艶っぽいのか
大阪と京都は現代建築でも陰と艶がある。単なる主観でしかないトピックに色々と考察を加えてみた。
近代建築の貴重な遺産
まず、近代建築の遺産的な魅力的なストックが多く、これらをコンバージョン・リノベーションしたり部分的に保存しながら再開発がなされているプロジェクトが多い。一例として中之島にあるダイビル周辺は圧巻だ。1925年(大正14年)竣工の「旧ダイビル本館」の一部を復元し建て替えられた。現在の商業ゾーンにあたる低層部の外観は、煉瓦と石彫刻が特徴的で強烈な陰影と素材の存在感を醸し出している。この意匠を復元し、ガラスカーテンウォールや金属的なサッシュとのぶつかり合いが凄い緊張感を生んでいる。インテリアも照明器具など特濃のエロさだ。ミナミで歌舞伎座を復元してホテルに建て替えた隈研吾デザインによるホテルロイヤルクラシック大阪も低俗さと下品さスレスレの艶感に溢れている。古くから商都として栄えた大阪の建築遺産が有するDNAが個人のデザイナーだけではなく、大手の組織設計事務所にも脈々と受け継がれている、というのが筆者の仮説その1である。
京都も同様である。NTT都市開発による新風館は大手デベロッパーによる開発と建築的冒険の最も幸福な形の融合だと思う。もともとNTTの電信関連施設という遺産をベースにしているのに加え隈研吾、エースホテル、とプロデュースにかかわる役者が揃ったのが大きいが、京都の既存の都市のコンテキストにも自然に溶け込んでいた。
水辺
水辺、というのは都市的な何かを象徴している。香港があれだけメトロポリタンに感じてしまうのは、果てしない先に平野が広がる東京とは異なり、山に閉じ込められた空間に水が広がり、この水の光景が様々な人と物と情報の交流・交換を実感させるからだと思う。こちらも中之島界隈になってしまうが、大阪市役所界隈は随分と水辺のリノベーションというか再生が良い感じで進んでいるようだ。単なるお洒落で清潔な再生、だけではない密度感と距離感の近さが感じられる。北浜の土佐堀川沿いに佇むギャラリー併設型のカフェ「MOTO COFFEE」も大阪の都市的文脈に置かれると、東京の中目黒辺りのサードウェイブコーヒーの店舗とはまた異なる味わいを持つように思う。
都市構造
大阪や京都は都市としての歴史が古く道路構造が碁盤の目になっていて、農村から自然発生的に膨張していった東京との大きな違いがある(東京も東側はグリッド構造が一部残っていて都市的だが)。マンハッタンと同じで、あらゆる建築物がまずグリッド状の道路構造の制約を受けざるを得ず、自らを律しながら周辺のコンテキストと調和する建築となり、大人の艶感を纏うことになるのではないか?東京は農村なので地上げさえ済めばなんでもできてしまう。六本木ヒルズも東京ミッドタウンも周囲から切り離されて屹立するテーマパークだ。より大きな都市構造に縛られることがないから甘やかされて子供っぽく見えてしまうのだ。
メシ
言わずもがなだが大阪や京都はメシが旨い。高級店が旨いのは東京でも当然だが大阪は安くて旨い店に溢れ、食に関する土台が違う。人間は食に満ち足りていると体感することをより重視するようになる。頭ではなく体で考える、ということか。これが、大阪現代建築の素材感の実は大きな要因ではないか、というのが最後の仮説だ。
(執筆:ArchY)