香港・上海にみるグローバル・アーキテクチャーの完成形【1】
『幕の内弁当』再開発の忠実な実践としてのInternational Finance Centre
筆者は職業柄定期的にに香港・シンガポールを訪ねています。前職の米系投資銀行勤務時代は、本邦企業の株式・債券発行による資金調達案件の際の国際機関投資家向けロードショー[1]では香港・シンガポールは欠かすことのできない訪問先でした。国際的な投資銀行や資産運用会社、ヘッジファンドのアジア太平洋拠点が集積しているためです。特に金融・不動産ビジネスに携わる人間が香港に出張する場合、大抵中環地区(Central)にあるIFC(International Finance Centre)周辺でほぼすべての会議が事足りてしまいます。IFCは『国際金融中心』とも称されていますが、旧香港国際空港(啓徳空港)がランタオ島の沖合にある人工島に移転したのを機に、新香港国際空港と都心部を結ぶアクセス路線の終着駅の再開発として1990年代後半から2003年頃にかけて開発されました。香港の地下鉄事業を展開する地鐵公司(MTR Corporation)や香港の最大手不動産デベロッパーである新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties、SHKP)、恒基兆業地産(Henderson Land)等が事業者として参画し、ポストモダン時代を代表する世界的な建築設計事務所であるシーザー・ペリ&アソシエイツの設計による二本の超高層オフィスタワーや大規模モール、シネマコンプレックス、フォーシーズンズが運営する高級ホテル棟等で構成される巨大複合施設が建設されました。シーザー・ペリ&アソシエイツといえば、ポストモダン時代の狼煙を上げた1980年代のニューヨーク・バッテリーパークシティの再開発で一躍時代の寵児となり、その後のグローバル化する新興国市場の建設マーケットを席巻した存在であり、日本でも東京都港区の森ビルによる仙石山ヒルズや愛宕グリーンヒルズ等のデザインを手掛けています。415mの高さを誇る地上88階建のIFC II(第II期工事)にはスイス金融最大手のUBSや世界最大級のヘッジファンドであるソロス・ファンドマネジメント、ブラックストーングループ、BNPパリバ等のアジア太平洋地域拠点や香港金融庁等が入居しており、グローバル資本市場のマネーとアジア地域のローカルなビジネスを結びつける空間的ハブとして屹立しています。
International Finance Center(Pelli Clarke Pelli Architects設計事務所ホームページより)
https://pcparch.com/project/international-finance-center/
建築文明批評の大御所ともいえる建築家磯崎新氏は以前、日本の本格的複合再開発の端緒となった赤坂アークヒルズ等を指し、オフィス、商業モール、住宅、ホテルから文化施設に至るまで全ての建築プログラムが詰め込まれた「幕の内弁当」と名付けましたが(磯崎氏はバブル期前後の巨大公共事業である東京都都庁舎や東京国際フォーラムを「粗大ゴミ」と呼ぶなど、毒の効いた批評家としても業界通を喜ばせてきた存在です)、これは何も六本木ヒルズや東京ミッドタウンに限ったことではなく、グローバル資本市場からの直接・間接の資金調達によって不動産開発が行われる現代において、予測キャッシュフローの確実性とリスク低減は至上命題です。「幕の内弁当」は、そのようなプレッシャーと格闘するビジネスエリートの誰もが必然的に辿り着く模範解であって、文字通り空港等のインフラと直結してグローバル・ビジネスのために再編成された無国籍空間、「グローバル・アーキテクチャー」と名付けるべきものと思われます。筆者は後述するように、香港のIFCに体現されたような、グローバル多国籍企業(TAMIセクター(テクノロジー、広告、メディア、情報産業)やFIREセクター(金融、保険、不動産)を中心とする)と国際会議・観光・エンターテイメント需要を取り込むMICE関連施設を中軸にプログラムが構成される大規模複合都市開発、物理的空間の統合を加速する巨大インフラストラクチャー(空港、港湾、鉄道・道路・通信網)、大規模物流施設とメガ商業モールがその重要な役割を果たす消費活動の空間的統合、これらの三つの要素が有機的一体となって、グローバリゼーションが深化した21世紀の「大文字の建築」ならぬ「グローバル・アーキテクチャー」を構成していると見立ててみたいと思います。「アーキテクチャー」という言葉には、その日本語に対応する「建築」を超えて、ハードウェアとしての建築物のみならず、それを必要とする国際ビジネス構造や政治的状況、個別プレーヤーのアクティビティ、それらを担う人々が求めるとされているエンターテイメント機能の表象、といったプログラムが含意されています。
無国籍空間に漂うアジア料理の香り
これらのプロジェクトの主役ともいえる超高層オフィスタワーは最新鋭の設備を具備したマッチョなハードウェアという内実を隠し、それぞれのテナントであるグローバル多国籍企業の手で洗練されたインテリアが施されており、一方の外皮は様々なファッションとキャラクターを纏っています。時間帯によって表情を刻一刻と変えるメタリックな揺らぎであり、繊細な内外空間のインターフェースであり、自らの存在を消したガラスの儚げなスクリーンであり、混沌とした都市景観の中で多義的な表情を映しています。この現代のタワーの基盤を固めるショッピングモールはグッチ、シャネル、ヒューゴボスといった名だたる高級ブランド群に巨大なアップルストア(Apple Store)、スターバックス、メルセデスベンツのショールームスペース、といったテナントミックス、まさに商業的な事業計画の担保、キャッシュフロー予測の確実性とリスク分散を最大限高めるような手法で内部のテナント構成がなされています。このような「都市の中の都市」に留まっている限り、自宅からシームレスに続くWiFiネットワークにより接続されたネット空間を漂う意識こそが主体であって、これらの商業空間はその背景を担うに過ぎない無色透明な舞台装置となり、土地の歴史や文化的文脈を一切感知させないという意味でもまさしく無国籍インフラです。辛うじてフードコートから立ち上がるアジア料理の香辛料の香り、モールを行きかう人々の言語の響き、亜熱帯地域のメガシティ特有の強烈な空調の冷気、週末に集まるフィリピン人メイドのランチコミュニティ、これだけが物理的な場と地域の存在をうっすらと思い起こさせるのです。
強大な四大不動産財閥
このIFCの南側、中環地区の中心は、置地公司(Hongkong Land)社が保有する複合開発エリアとなっており、1980年代から開発されてきた金融街の中では比較的歴史のあるゾーンですが、ここにも多くの金融機関がオフィスを構えています。Hongkong Land社は1889年に設立された香港でも最も古い歴史を有する不動産開発会社ですが、その過半を支配するのが英国系のジャーディン・マセソン(Jardine Matheson)という企業です。ジャーディン・マセソンは東インド会社を前身とする貿易商社が出自の歴史ある会社であり、アヘンの密輸と茶の英国への輸出を主要業務として拡大、ロスチャイルド系の香港上海銀行等を傘下に設立し貿易金融も拡大する等、20世紀初頭には世界最大級の国際コングロマリットとなり、今も香港の不動産本位経済の中枢で絶大な影響力を誇っているといわれます。アジアを代表する超高級ホテルオペレーターの一角であるマンダリン・オリエンタルの経営権を保有したり、複合的な事業展開を行っており傘下のグループ企業全体では香港政庁に次ぐ従業員数を誇っているといわれますが、香港の他にも、中国、シンガポール、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、中東、アフリカの一部で活発に展開しています。ちなみに、銅鑼湾など香港の主要な土地の多くは19世紀前半に英国植民地政府によってジャーディン・マセソンへと払い下げられたために、香港のランドマークには「渣甸橋(Jardine's Bridge)」、「勿地臣街(Matheson Street)」、「渣甸街(Jardine's Bazaar)」、「渣甸坊(Jardine's Crescent)」、「渣甸山(Jardine's Lookout)」や「怡和街(Yee Wo Street)」といった社名(中国語表記は怡和洋行)や創業者(人物名のジャーディンに対する中国語表記は渣甸)にちなむ名前が付いたものが多くなっています。
アート・カルチャーの集積を目指す次の開発フェーズへ
そんな香港は現在大変なスピードでアジア地域のアート・カルチャーのハブを目指しているように見えます。香港等中環地区の旧警察署跡地をコンバージョンした大舘(Tai Kwun)はHerzog de Meuronのデザインと共に話題を呼んでいます。
ヴィクトリア湾の対岸には香港最高層であるICC(International Commrece Centre)が聳え立ちます。西九龍に計画されていたユニオン・スクエアの中核施設として2002年から建設が進められていたもので、IFCと同じく地鐵公司(MTR Corporation)や最大手デベロッパーの新鴻基地産(Sun Hung Kai Properties、SHKP)等が事業者に名前を連ねています。こちらも見事な『幕ノ内弁当』ぶりですが、このエリアで興味を引くのは西九龍文化地区(West Kowloon Cultural District)と呼ばれるアート・文化の一大集積が計画されている点で、香港特別行政庁が日本円にして約2,500億円の予算を投じて2030年代にかけて建設されていく予定です。現在もユニークな建築物の建設が着々と進められています。2010年にマスタープランを定める国際コンペが行われていますが、そこでのOMAの提案(https://oma.eu/projects/west-kowloon-cultural-district)はプログラムに求められていた圧倒的な多義性、
” overwhelming governmental ambition, with a bewildering diversity of stakeholders, translated in a massive amount of real estate with an incredible richness of program, into a proposal that is fun and serious, planned and spontaneous, large but intimate, Chinese but international, iconic but practical, understandable yet surprising”
に対応するために”VILLAGE”をタイポロジーとしたコンセプトプランを提示していました。残念ながらOMAによるマスタープランは完全な実現には至らなかったものの、足元でもHerzog de Meuronの設計による美術館(”M+Museum”)の建設が進められていたり、熱量の高いアート・カルチャーの集積が進みつつあります。
香港では金融危機後に本格着手された10大インフラ事業の建設が足元粛々と進められており、本土の深玔や広州にこうした開発が拡散、凄まじい建設ラッシュとなっています。香港やシンガポールの大手不動産会社はそれぞれ独自の都市複合開発プロジェクトをシリーズ化・ブランド化し(SHKPの『IFC』やCapitaLand社の『ラッフルズシティ』等、森ビルの『ヒルズ』シリーズはこれらの先駆者といえるかもしれません)、中国本土への展開を推進しています。今や、都市再開発という行為は地域の文脈を読み取るとか歴史と共鳴する、といったプロトコルからは自由となり、土地本位制の経済ブロックを支配する複合コングリマリットがマーケティングする商品そのものであり、それらはその出自を超えて無数の都市で商品化されていきます。それは、ザハ・ハディドの幻の新国立競技場よろしく巨大なグローバル化のマザーシップが空から降臨する様相となっているようでもあります。